#10『春の雨の日』

僕はよく空を眺めます。
雲も星も太陽も西日で切り絵のようになった遠くの山々も。
とにかく空をボーッと眺めて過ごすことが多々あります。
高速道路を運転している時ですら、延々と続く直線をいい事に、ちょっと気になった雲があればずーっと眺めている始末です。

僕「うさぎに見えない?」
お「ううん あひる」
僕「あぁ、なるほど…(納得)」
お「うさ…おぉ…うさぎ!(納得)」

それはお布団小僧も同じでした。
ある春の日差しが心地良い午後の事です。
砧公園へ出かけた僕達は、芝生に寝っ転がって『空に浮かぶ雲が何に見えるかごっこ』をして遊んでいました。
開けた芝生の広場で寝転がれば、視界は一面の青い空だけ。
気を抜けば遠くの道路の騒音も、付近の住宅街から聞こえる生活音も、すーっと空に飲み込まれ消えてしまいそうなほどす。

僕「アレは?」
お「おふとん!」
僕「じゃぁアレは?」
お「おふとーん!」

…。
どちらも『布団』で逃げたか、お布団小僧?

お「あっち はるなつよー」
僕「こっちは…?」
お「あきふゆよー(ニヤリ)」
僕「…。」

僕は思わず呆れつつも「そう言えばそろそろ布団を薄手に変えるかな」と妙に納得させられてしまった時です。
それまで静かに吹いていた春風が、少しだけ湿り気を帯び始めました。
同時に、足元に見える南の空から、大きなねずみ色の雲が迫ってくるのが見えました。

春の嵐です。

風は次第に強まり、嵐を察知した家族連れやカップルはいそいそとレジャーシートを畳んでは、帰宅の準備を急いでいます。
「僕達も帰ろう」
そう思って体を起こしたときでした。

僕「!?」

隣で寝転ぶお布団小僧の更に隣。
そこに見知らぬ1人の少女が、いつの間にか僕達と川の字で寝そべっていたのです。

お「!?」
少「…。」

異変に気付いたお布団小僧も、ガバッと起き上がり、隣で寝そべる少女を見ました。

少「…。」

でも少女は僕達にお構いなしといった様子で、ただ仰向けに寝そべりながら相変わらず空を眺め続けたのです。
年齢はおそらく10歳程でしょうか。白いワンピースからスッと伸びた透けるような白い肌に、まるで宝石の様な碧い瞳。そしてブルーグレーの長い髪。

この子が人間で無いことは、誰の目にも明らかでした。

長いまつげに、どことなく愁いを帯びたその横顔が、実に美しい女の子。
そう、きっと彼女は妖精なのだと僕は思いました。
するとその時です—

少「あなた達も帰っちゃうの…?」

少女が呟きました。
気付けば砧公園の芝生広場にいるのは、僕達だけ。
それはまるで、南から迫る雨雲に逃げ帰ろうとしてた、僕達を見透かすような声でした。

僕「うん。もうすぐ雨がふっちゃうし」
少「…そう」

少女が寂しそうに答えました。
遠くにあった筈の雨雲も、気付けばいつの間にか、僕達のすぐ頭上にまで迫っています。
あれほど暖かだった日差しも、今ではすっかり鉛色の雲に遮られ、強い風が冬の名残の枯葉を吹き散らし始めたのです。

僕「君は帰らないの?」

僕が彼女に聞いた時、ついに春の嵐がやって来ました。
大粒の雨が打ち付ける芝生の広場は、まるで煙が充満したようにその緑を霞ませています。

少「お家なんてないの」

少女の碧い瞳を見た時、それが雨なのか涙なのか、僕達には分かりませんでした。
ただ彼女は、雨が降りしきる公園で、そう呟いたのです。


お「すごい すごい!」
僕「すごいねぇ…」

僕達が大きな木の下に避難した時、春の嵐はいよいよその本領を発揮し始めていました。
お布団小僧は広場に出来た水溜まりをバシャバシャと脚で踏みつけて大興奮しています。
えぇ、もちろんずぶ濡れです。
僕は鞄から手拭いをとりだし、隣に座る少女の濡れ髪を拭いてあげようとした時です—

少「あなた、雨好き?」
お「すきー!」
少「どうして?濡れちゃうし寒いし、空だって暗くなっちゃうのに?」
お「でもすきー!」

大はしゃぎで雨に打たれて遊ぶお布団小僧を見ていた少女が、そう問いかけました。
そしてびしょびしょになってもニコニコと楽しそうに答えるお布団小僧を見て、少女は「クスッ」と笑い、立ち上がったのです。

少「私も!」
お「すきー!」
少「雨!!」
お「だいすきー!!」

お布団小僧と一緒に、雨の中で嬉しそうに踊る彼女の姿を見て、僕は確信しました。
少女は雨の妖精です。

気付けば僕達3人は、土砂降りの雨の中で楽しく笑いあっていました。
芝生の地面に出来た水溜まりの中でバシャバシャと足を踊らせ、まるで湿原のようになった広場を走り回りました。

お「さかなつるー!」
少「私も!」

お布団小僧が拾ってきた長い枝を釣り竿に見立て、地面に出来た大きな池で釣りの真似事をすると、少女もそれに倣いました。

お「やっぱりつれないー!」
少「釣れなーい!」

2人は釣り竿を投げ捨てると、今度はついに水溜まりの中に飛び込んで全身をバシャバシャとさせ、楽しそうに笑っています。

僕「じゃぁ今度はお風呂!」

僕も年甲斐もなく、彼等の間に飛び込みました。

お「ろてんぶろー!」
少「こっちから、こっちは女湯でーす!」
僕「こっちが男湯でーす!」

草、土、そして都会の埃。
雨の中には沢山の懐かしい匂いが隠れている事を、僕は久しぶりに思い出しました。
濡れたズボンが足に重く纏わり付き、ポケットの中の手拭いはすっかり役に立ちません。
足の指を動かすと、水没した靴のつま先で水がカポカポと音を立てました。

つま先が、足が、腕が、首筋が。
身体が、心が、記憶が。
今が。
なんだか凄く、くすぐったいような気がして、僕達はまた大きな笑い声を上げました。
その時でした—

僕「あははは!」
お「わははは!」
少「…。」

少女はニッコリ微笑みながら、その宝石の様な碧い眼から大粒の涙をぽろぽろと落としていたのです。そして—

少「そろそろ帰らなきゃ」

静かに立ち上がったのです。

僕「…どこに?」

僕はこの雨の精である少女が「お家なんてない」と言っていた事を思い出しました。
でも少女は、僕の質問に答えようとはしませんでした。ただ—

少「今日は、しあわせ?」
お「おぉ!」
少「たのしい?」
お「おぉ!」

そう聞いては、満足そうに微笑むのでした。

「僕も」
僕は少女を見て、頷きました。

少「わたしも…」

少女がそう微笑んだ瞬間でした。

僕/お「!?」

少女の全身が、突如まっ白な光に包まれたのです。
それは目の眩むような、そしてどこか温かで甘い香りのする大きな光でした。

少「行かなきゃ」
お「かえっちゃうの…?」
少「うん」
お「なんで…?」

寂しそうに聞くお布団小僧の手を、少女は両手でしっかり握りしめて答えました。
光の中でお布団小僧の手を取る少女。
その姿はまるで天使の様です。

少「もう帰って来ていいって」
お「?」

少女がお布団小僧を促すように、天を仰ぎました。
僕も一緒に空を見ました。

するとそこには、先程の雨空とは一変し、見たことも無い色で輝く天空の姿が見えたのです。
金色、紫、ピンク、緑、青。
世界中の朝焼けと夕焼けを混ぜても、まだ足りない程にその空は美しく輝いていました。

お「おうち みつかったね!」
少「あなた達が見つけてくれたから」
僕「え?」

その瞬間、少女の身体が、まるで天に吸い込まれるかのようにスーッと浮き上がりました。
少女のブルーグレーだった長い髪は、いつしか淡い銀色となり輝き始めています。
碧い眼は夏の青空の様に遠く澄み、気付けばその背には、大きくまっ白い翼がありました。

お「またあそべる?」
少「うん」
お「きっと?」
少「あなた達が呼んでくれたら、きっと…」

少女が一瞬、曇らせた表情。僕はそれを見逃しませんでした。
そしてそれは、お布団小僧も同じでした。

お「またね はるさめちゃん!」
少「はる…さめ…?」

少女には、名前がなかったのです。

僕「うん。春の雨の精だから、春雨!」
お「はるさめちゃん!」
少女「はるさめ…うん!」

名前のなかった少女。
彼女はこれで、お布団小僧とした再会の約束が果たせる事に安堵した様にニッコリと大きな笑みを浮かべました。

は「ありがとう」
お「またね はるさめちゃん!」
僕「また遊ぼうね、はるさめちゃん!」

はるさめちゃんは、何度も大きな声で「ありがとう」と叫びながら、ついには光の中に吸い込まれ空に帰って行きました。
そして天空から、虹のような光が消えた時、僕達は普段通りの砧公園の広場に佇んでいました。

僕「乾いてる…?」
お「おぉ…?」

あれほどまでにビショビショだった僕達の服も、不思議とすっかり乾いています。
泥遊びをしたにも関わらず、汚れ一つ見当たりません。

お「いっちゃったね はるさめちゃん」
僕「そうだね」
お「はるさめ みたいだったね」
僕「ん?」
お「かみのけ」
僕「…。」

せっかく素敵なネーミングだと思ったのに…。
どうやらお布団小僧は、はるさめちゃんの銀色になった髪の毛を見て「はるさめ」と名付けた様でした。
ま、まぁいいか…(汗)

結局、はるさめちゃんが雨の精なのか、天使なのか、僕にはよく分かりませんでした。
ただ彼女はきっと、かつて何らかの罪を犯した心優しき者なのだと、今ではそう思います。
その罪を償うため、彼女はきっと雨の精として、嫌われ者の雨の精として、この世界に落とされたのだろうと。

思えば都合のいい話です。
無くてはならない存在のはずなのに、僕達はどこか雨になると憂鬱になったりします。
勿論、心が落ち着く雨の日もあるのですが。
少なくとも大人になってから、雨を楽しいと思った事はありません。

きっとはるさめちゃんの罪は、その雨で僕達を楽しませた事で償われたのだと思います。
僕はそう思います。


僕「象?」
お「ちがう?」
僕「キリンに見えるけどなぁ…」
お「うーん…」

あの日からも、僕達は相変わらず空を見上げては『雲が何に見えるかごっこ』をしています。
そんなある時—

お「あ!」

お布団小僧が空を指さし叫んだのです。

僕「?」
お「はるさめちゃん!」

見ればそれは、一筋の飛行機雲でした。
なるほど。言われてみれば、お布団小僧の意味する『はるさめ』に見えなくもないです。
きっとお布団小僧は、まだ飛行機雲を知らないのです。
でもお布団小僧は、青い空にスーッと伸びる1本の白線を見ては—

お「はるさめちゃーん!」

ニコニコと大きく手を振っています。
春の雨でも、緑豆でも。僕達にはもう、どちらでも構わないのです。
ただ空に浮かんだ一筋の雲は、はるさめちゃんからの「またあそぼうね」と言うサインである事にかわりはないのですから。

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by ohutonkozou | 2014-03-24 22:34

妖怪達と暮らす 五流作家の 日々のこと


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